逝去された桑田正博先生を偲んで・・・過ぎ去った遠い昔の思い出とともに


桑田正博先生が逝去されたとの訃報を友人からのSMSで知りました。
自宅で原稿執筆された後に、ご夫婦で一緒に軽井沢へ行かれた際、現地で心不全により7月16日に逝去されたとのことです。
享年84歳。

思いもかけない知らせに心底驚きました。
歯科技工界のかけがえのない巨星を失しなったことによる痛恨と哀惜の念で、胸が締め付けられる思いをしたものです。

桑田先生を初めて拝見したのは、私が歯科技工学校を卒業した2年後(1972年)のことでした。
福岡市で開催された講演会に参加したときです。
桑田先生がアメリカから帰国されて間がない頃で、講演会には、アメリカの歯科事情を知りたいという歯科医師の先生方が多く参加されていたようです。
約300人が聴講できる会場は満席で、左右にある壁側の通路にも、立ったままで聞いている人達でいっぱいだったのが今も記憶に残っています。

当時、私は福岡の片田舎で小さなラボを自営していました。
当時は鋳造冠の症例すら少なく、金属板を打ち出して製作する無縫冠や縫製冠が臨床に応用されていた時代でしたが、最新の技術を用いた仕事をしたいとの思いから、専門書を頼りにポーセレン技工に取り組んでいました。

1968年に製品化されたというVITA社の金属焼付ポーセレン陶材VMK68と桑田先生が開発に加わられたという国産の焼付用合金KIKを使用していましたが、私の未熟な技術のために多くの問題が生じて悩んでいたときでもありました。

「桑田先生は別世界の雲の上の人だけれど、もし、東京のクワタカレッジで桑田先生の指導を直接受けることができればどんなにいいだろう」と何度も思ったものです。
しかし、福岡の片田舎のひとりラボで仕事をしていた私には、東京まで行って桑田先生に指導を受ける経済的な余裕はなく、私の思いは "夢のまた夢” でしかありませんでした。

ポーセレン焼成時のトラブルを何度も経験しているうちに、手先の不器用な自分には勘を必要とするポーセレン技工は向いていないと自信をなくし、ポーセレン技工をやめることにしました。

「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉がありますが、幸いにも、当時注目を集めていた精密アタッチメント技工とナソロジーによる咬合再構成に興味を見いだし、その分野の技術にのめり込むことになりました。

その後、私が桑田先生にお会いし、初めて言葉を交わす機会を得たのは、16年後の1988年でした。
その年、京都の国際会議場で日本歯科技工士会主催の第2回国際歯科技工学術大会が開催され、そのパーティ会場でお会いすることができたのです。

福岡のラボは1982年に閉鎖し、その後、スイスで2年間とドイツで4年間、ラボなどを転々としながら歯科技工の修行をしていたのですが、1988年の国際歯科技工学術大会の海外演者のひとりとして招待を受けたのです。

図1
1988年に開催された第2回国際歯科技工学術大会のパーティ会場での写真です。
中央が桑田正博先生、右はノリタケポーセレンAAAを開発された坂清子先生、左は私です。

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図2
同じくパーティ会場での写真で、写真中央は当時の日本歯科技工士会会長の酒井清二氏です。
左が私で、招待されたお礼を述べながら談笑している写真です。

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その後、桑田先生に再会できたのは、さらに10年後の1998年のことになります。

1998年当時、仲間3人と一緒に「技工未来の草案フォーラム」を企画、開催することになりました。
歯科技工界の行く末を憂い、現状の問題点を打開する道を探ろうと集まった仲間たちです。
その3人の仲間は、現在もそれぞれの分野で活躍されています。
私が今も尊敬してやまない人たちで、伊集院正俊、川島哲、加藤敏明の三氏です。

当時、私は30年連れ添った妻を病で亡くして、将来への望みもないまま、東京で小さなラボを開設したところでした。
開業したばかりで仕事は当分暇だろうから「技工未来の草案フォーラム」の事務局を引き受けて欲しいと言われ、歯科技工界の情況も良くわからないまま、成り行きで事務局を引き受けることになりました。

桑田先生に10年ぶりにお会いしたのは、「技工未来の草案フォーラム」の仲間と一緒にクワタカレッジを訪問したときです。
桑田先生にはぜひ高いお立場から私たちを指導していただきたいと、私たちの活動に対する思いや情熱を伝えるためでした。

桑田先生は、理論をもとにした歯科技工を追い求め続けられてきた教育畑の方です。
また、その当時は、国内外からの研修生に対する指導で多忙な日々を送られていた方です。
桑田先生としては、私たちの思いは理解できても、全てを受けいれて私たちと共に活動をすることは負担だったに違いありません。
二の足を踏まれて当然の情況にもかかわらず、東京会場で開催される「技工未来の草案フォーラム」への参加は快く承諾いただきました。

図3
当時、歯科技工雑誌QDTに掲載された「技工未来の草案フォーラム」の意見広告です。
(画像をクリックすると拡大できます)

IMG_0001 (4).jpg

この意見広告が掲載された時点で、約300人の若い人たちからの賛同を得ていましたが、快く思わない人達も少なからずいました。
中国の文化大革命を指導して失脚した四人組になぞらえて、フォーラム四人組と揶揄されたこともあります。

当時の日本歯科技工士会の会長は酒井清二氏から佐野恵明氏へ引き継がれていました。
国会で行われた佐野会長の説得力のある弁舌には、それを聞いていた国会議員の人達も舌を巻いたといいます。
その佐野会長のご自宅に、仲間を代表して私がお邪魔させていただいたことがあります。

「技工未来の草案フォーラム」の趣旨をお伝えし、佐野会長にもフォーラムでお話いただけないかとお願いするためです。
もし、佐野会長と桑田先生が歯科技工界の未来についてそれぞれのお立場で話をされ、さらに、フォーラムを企画した仲間たちを交えた討論の場となれば、歯科技工士の現状における問題を打破できる何らかの道が見えてくるかもしれないと思ったのです。

佐野会長は私と二人だけの話の際にはフォーラムへの参加を快諾いただいたのですが、後日、参加できない旨の連絡が入りました。
日本歯科技工士会の側近の方々からの猛烈な反対があったようです。

桑田先生とも、また、佐野会長とも、「技工未来の草案フォーラム」が縁となって、互いに心を開いてお話することもできましたが、これがお二人にお会いできる最後の時となってしまいました。

桑田先生の研修コースを受講された方々は3000人とも5000人とも言われます。
その方々一人ひとりにも、それぞれに違った桑田先生との思い出があるに違いありません。
桑田先生は、これからも永遠に、愛弟子とも言える受講者の方々の心の中で生き続けられることでしょう。

謹んで桑田先生のご冥福をお祈りいたします。
合掌

王譯平(川崎従道)拝


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この記事へのコメント

JiJi
2021年08月21日 07:35
訃報に接して

この度、桑田正博先生の突然の訃報を貴ブログより知り、ここにお礼を申し上げます。
 桑田先生によって、この国の技工は徒弟制度での伝習から、近代技工技術を広く教育の場に広められたと言っても過言ではないかと思います。
 その恩恵に与った者として、そのご功績を称え心から感謝とお礼を申し上げます。