中国において、電子面弓(デジタル・フェイスボウ)は普及するのか?

毎年、6月中旬に開催される北京デンタルショーへ、今年も、私の助手二人を連れて行ってきました。
今回はデジタル顎運動測定装置のみに的を絞って見学することにしました。
中国では、デジタル顎運動測定装置は一般に電子面弓(デジタル・フェイスボウ)と呼ばれています。
弊社Lラボへ仕事を依頼される大学病院や歯科医院の先生方のなかにも、咬合について関心を持たれている方が多く、最近はデジタル・フェイスボウを用いた記録データが、診断用模型と一緒に送られて来るようになりました。

デジタル・フェイスボウのメーカーであるドイツのKavo社、 Zebris社、 AMANN Girrbach社などの担当者の方々もしばしば立ち寄られるようになり、デジタル・フェイスボウや調節性咬合器について、使用上の問題点などをディスカッションすることもあります。
あるいは、咬合再構築の手順について、患者さんを連れて弊社Lラボの川崎研修センターへ相談に来られた先生もいます。

そのような機会が増えたこともあって、中国における咬合に関する時勢の新たな動きや時代の傾向を、私自身、何となく肌で感じつつあります。

まるで、1970年代にアメリカから日本へナソロジー咬合理論とその術式、あるいはスチュアート全調節性咬合器とパントグラフなどが紹介された時代のようです。
日本の歯科医療や歯科技工に多くの影響を与え、日本の歯科界が活気を帯びていた当時のことが懐かしく思い出されます。

本記事では、北京デンタルショウで見たデジタル・フェイスボウについて述べるとともに、Kavo社のデジタル・フェイスボウ ARCUS DigmaⅡが使用された最近の症例についてもご報告させていただきます。

なお、ひとつの図に写真を2枚使用しているため小さな図になっていますが、図をクリックしていただくと拡大できますのでお試しのほどお願いします。

図1
デジタル・フェイスボウARCUS DigmaⅡ(写真左)について、Kavo社のブースで説明を聞いている私の助手の蒋海麗です。

一昨年から販売が開始されたというARCUS DigmaⅡの中国における価格は約50万元(約780万円)、Proter evo7咬合器が約5万元(約78万円)だそうです。

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中国の中でも物価や給与が高いといわれる北京でさえ、医療専門大学を卒業した歯科技工士の初任給は2,000元(約32,000円)前後でしかありません。

日本ではARCUS Digma(当時はタイプ1)が2003年頃、Proter咬合器が1995年頃に発売開始されたと記憶しています。
中国では発売開始間もないとはいえ、日本における価格の3~5倍という高額に耳を疑いました。

図2
昨年から販売が開始されたドイツZebris社のデジタル・フェイスボウJM Analyserです。
JM Analyserを装着したマネキンの下顎運動を液晶画面に表示しながら、デジタル・フェイスボウの特長が説明されていました。

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ブースの後方の壁には、解り易く編集されたJM Analyser使用時のDVD録画も流されていました。

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図3
ドイツAMANN Girrbach社のデジタル・フェイスボウです。
中国では、今年の年末頃に発売が予定されているとのことです。

上顎模型を調節性咬合器にトランスファー(転移)する方法(写真右)については、Zebris社のデジタル・フェイスボウJM Analyserと全く同じ方法となっています。

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図4
デジタル・フェイスボウの上顎用フレームです。
下顎に装着されたフレームから発信される超音波を受けるレシーバーの役目もします。

左のシルバー色はAMANN Girrbach社製、右の白色はZebris社の新製品です。
いずれも、まだ未発売の製品とのことです。
外装の色は異なりますが、外観も性能も同じ物のようですので、おそらく同一メーカーで製作されたものなのでしょう。

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図5
ドイツSAM社のデジタル・フェイスボウです。
上顎模型を調節性咬合器にトランスファーする方法については、上記3社の方法とは異なり、従来のフェイスボウを用いた方式に準じているようです。
説明された方も自信なさそうでしたので詳しくは聞きませんでしたが、中国における販売価格は35万元(約550万円)とのことです。

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私が見た範囲では、今年の北京デンタルショーに展示されていたデジタル・フェイスボウは上記4社の製品だけでした。
いずれも超音波測定によるデジタル方式で、従来のメカニックな外部描記方式の製品は見当たりませんでした。

ちなみに2008年度版ではありますが、Kavo社のKaVo Price listによりますと、ARCUS DigmaⅡのSDタイプで 6,480EUR(約80万円)、UBSタイプで 9,000EUR(約110万円)、Wirelessタイプで 9,540EUR(約117万円)となっています。

貨幣価値の変動や本体価格の改正、および輸入関税などを考慮したとしても、デジタル・フェイスボウに設定された中国における価格はあまりにも高額で、はたして中国で普及の可能性はあるのか疑問にさえ感じました。

図6
最近、弊社Lラボの川崎研修センターに依頼された咬合再構築の症例です。
送られてきた診断用模型を見ますと、前、臼歯ともに咬耗がひどく、咬合高径が著しく低くなっています。
歯牙欠損がありながら、義歯を装着することさえできなかったようです。

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中国では、咬合再構築による補綴物を必要としている患者さんは沢山います。
指示書には、この症例の方の年齢は記載されていませんが男性だそうです。
おそらく50~60歳代の方なのでしょう。

同年代の人たちの話を聞きますと、若い頃の中国は貧しく、食べる糧を得ながら、その日その日を生きるのが精一杯だったといいます。
時代が変わり、経済的にも裕福になられ、自分の歯にお金をかける余裕ができた方なのでしょう。

図7
このような症例の場合は、まず診断用のワックス・アップ(中国では美学蝋型といいます)が依頼されます。
このワックス・アップは、あくまでもチェアー・サイドにおける診断用や患者さんへの説明用として使用されるものです。
患者さんにとっては高額治療になりますので、術後の状態を知り、意思決定するうえで非常に重要なものとなります。

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ラボサイドでは、図6の模型から副模型を作製した後、咬合器に装着し、咬合高径の修正を行います。
この症例では、まず左上顎中切歯の長さを参考に下顎前歯の長さと形態を決めました。
その後、下顎前歯を運動させながら上顎前歯舌側に前歯誘導路を作り、上下顎前歯が中心位で接触した位置を新たな咬合高径といたしました。
この症例では、第一大臼歯の部位で約1.5mmの咬合挙上を行っています。

その後、新しく決めた咬合高径と前歯誘導路をもとに臼歯部のワックス・アップを行います。

図8
ワックス・アップが完成しましたら、それを副印象して、石膏模型に置き換えます。
加圧成型器を使用して、石膏模型に透明シートを圧接し、モック・アップ(mock・up、見本品の試作)用のマウスピースを製作します。
マウスピースを利用して口腔内でモック・アップの作業が行われ、モック・アップ用材料によってワックス・アップの形態が口腔内に再現されます。

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モック・アップによる術前シミュレーションは、患者さんの理解を得るうえでの助けとなります。
北京の大学病院や歯科医院では頻繁に行われている方法です。

患者さんの了解が得られた後、ARCUS DigmaⅡなどのデジタル・フェイスボウによる診断や顎運動の記録をはじめ、咬合再構築の術式が執り行われることになります。

図9
私がKavo社のARCUS Digma(当時は、タイプ1)を初めて知ったのは2004年です。
輸入代理店の方に紹介され、私のラボの顧客でもあった歯科医院で患者さんに対する実技を見せていただきました。

当時、日本顎咬合学会誌(咬み合わせの科学)編集部の方から原稿執筆を依頼されていましたので、知りえた内容の一部を下記の私論文に記載させていただきました。

日本顎咬合学会誌 Vol.25 No.1・2 2005 264-280
新連載:今さら聞けない咬合学
どのような方法で、どのような咬合を与えればよいのか
ー“咬合をつくる作業”についてのベーシックな提案―

ARCUS Digmaは診断用や患者さんへの説明用としては素晴らしい機器だと思いましたが、上顎模型を咬合器へトランスファーする方法については、当時から、その正確さに疑問を感じていました。
ご参考までに、下図は上記私論文の一部を転載したものです。

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図10
上顎中切歯部における正中線や切端部の位置、咬合平面などの、いわゆる審美基準を正しく咬合器へトランスファーするためには、フェイスボウ採得時に下記の配慮が必要となります。

1. 顔面における正中線が基準平面(カンペル平面など)に対して可能な限り垂直になるようにフェイスボウを位置させること。

2. 瞳孔線が基準平面に対して可能な限り並行となるようにフェイスボウを位置させること。

3. Kavo 社のProter咬合器を使用する場合は、前方基準点を示すリファレンス・ポインターが顔面正中の鼻下点に正しく位置していること、などです。

下図は、ご参考までに上記私論文中の一部を転載したものです。

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ARCUS DigmaⅡ用のバイトフォークを上顎歯列に位置付けする際には、上顎中切歯をバイトフォークに近接させながら正中線を決め、かつ、バイトフォークを基準平面と並行に一致させる必要があります。

その際、位置決定のための明確な指標がないため操作しづらく、上顎模型を咬合器に装着する際に審美基準が正しくトランスファーされないという問題が生じます。

図11
最近、北京の某歯科医院から送られてきたARCUS DigmaⅡ用バイトフォークです。
上顎の位置がバイト用のシリコーン材料で記録されています。
Kavo社の Proter evo7咬合器に専用のトランスファー・スタンドを用いてバイトフォークをセットし、上顎模型を装着したところです。

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図12
この症例では、バイト用のシリコーン材料が多量に使用されていることにより、咬合平面が上方に位置しています。
また、正中線の位置も右側に約10mm変位し(黄色縦線を参照)、審美基準が正しくトランスファーされていないことが分かります。

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もし、前歯部が欠損していたり、あるいは、残存歯が全て支台歯形成されていたりすれば、バイトフォーク装着時の操作ミスに気付くことはないかもしれません。
咬合平面が上方に位置していることも、正中線の位置が正しくないことにも気付かずに、咬合再構築の技工作業が行われるかもしれません。
その結果、生じると思われる審美や機能面における製作上の失敗は、火を見るよりも明らかです。

図13
この症例は、北京の大学病院からの依頼によるものです。
インプラントを含む咬合再構築の症例です。
上下顎の印象と中心位のバイト、および、ARCUS DigmaⅡで測定されたデータ、さらに、上顎の位置がバイト用のシリコーン材料で記録されたバイトフォークも送られてきました。
作業用模型を製作した後、ARCUS DigmaⅡ専用のトランスファー・スタンドをもとに、上顎模型をKavo社のProter evo7咬合器に装着しました。

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図14
ARCUS DigmaⅡを使用しますと、咬合器調節値のデータが自動的に決定され、咬合器用レポートが作成されます。
そのレポートの調節値をもとに、咬合器の関節部やインサイザル・テーブルの数値を合わせます。

まず、左右の関節部において前方顆路角の数値を合わせ、次に非作業側関節部における側方顆路角とISS(イミディエート・サイド・シフト)の数値を合わせます。
そして、作業側関節部におけるシフト・アングルの数値を合わせれば、関節部の数値設定は終わります。
咬合器に調節性インサイザル・テーブルが使用されていれば、前方や側方におけるインサイザル・ガイドの数値を設定することができます。

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従来のチェック・バイトを使用した全調節性咬合器の調節法は、煩雑で誤差が生じやすいという問題がありましたが、ARCUS DigmaⅡの使用によって、非常に簡単な操作で、誰もが確実に使用できるシステムになっています。

図15
ARCUS DigmaⅡの測定時に得られた審美基準をもとに、咬合再構築のワックス・アップを終えたところです。
インプラントのアバットメントは試適用にPMMA樹脂で製作され、チタン製ベースに接着されています。

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図16
担当医の先生から「ワックス・アップが終了した後に、口腔内における試適をしたい」との依頼を受けていました。
そのため、ビニール・コーピングでワックスを補強し、かつ、カラー・ワックスを用いて、できるだけ最終補綴物に近い色調に仕上げることにしました。

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図17
口腔内試適が終了し、再び弊社Lラボの川崎工作室に戻ってきた状態です。

「正中線の位置、前歯の長さや形態、およびスマイル・ラインなど、審美に必要とされる基準は満たされていた」との報告を受けました。
ARCUS DigmaⅡのバイトフォークが、担当されたドクターによって上顎歯列に正確に位置づけられ、審美基準が咬合器に正しくトランスファーされた結果によるものだと思います。

「ワックスによる製作物であるため、強く咬合させることも、下顎運動も行えなかったものの、上下顎の咬合関係はほぼ適正な状態にあった」との報告も受けました。

ただし、上顎中切歯のアバットメントにおいて、歯肉縁下の形態を修正するようにとの指示があり、すでに、赤色のワックスで追加修正の部分が表示されていました。

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ワックスによるクラウンやブリッジの試適が終われば、その後の作業のほとんどはCAD/CAMによって行われます。
まず、試適後のワックス・クラウンやブリッジを用いてCADによるダブル・スキャンと設計が行われ、切削加工機であるCAMによって、PMMA樹脂によるプロビジョナルのクラウンやブリッジとして複製されます。

そのプロビジョナルのクラウンやブリッジは、症例によっても異なりますが、2~3カ月間、患者さんの口腔内に装着されます。
その間、審美面や咬合などの機能面が確認され、必要であれば微調整が行われます。

その後、微調整されたプロビジョナルのクラウンやブリッジをもとに、再びCAD/CAM作業が行われ、ガラス・セラミックスやジルコニア材料をベースとした最終補綴物として完成されます。

図18
CAD/CAMで使用されるガラス・セラミックスやジルコニアによる材料は日々進化しているようです。
今回の北京デンタルショーに於いても、下部層の濃い色調から上部層の透明感ある色調へグラデェーションが施された全体に透明度を増したジルコニア・ブロックも展示されていました。

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このような材料を用いれば、少なくとも臼歯部においては、ポーセレンを築盛、焼成して色調を改善するという従来のマニアックで作業時間も要するテクニックは必要なくなるでしょう。

また、デジタル・フェイスボウなど咬合関連の機器が普及するようになれば、咬合に重きを置いたテクニックの要求度も高まるでしょう。
そうなれば、歯科技工の専門知識やアナログといわれる手作業の技術も、中国では、今後ますます必要とされ、生かされる機会が増えるのではないかと考えています。





この記事へのコメント

三好博文
2019年07月12日 10:30
私は一応歯科技工歴50年と言えども上下の総義歯をフエイスボーを使って
数例しか経験がありません(今の日本では上下の総義歯は自費でもフエイスボー使用して居ません)川崎先生の情報を再度読ませて頂きます。
 以上HMより」
譯平
2019年07月13日 12:00
三好博文 先生
コメントありがとうございました。
私も27歳で歯科技工士になり、77歳の現在まで総義歯を自分で製作したのは、記憶にあるかぎり、実母と義母のために製作した2ケースしかありません。
全くの素人です。
中国では、富める人と貧しいひとの格差は非常に大きいようです。
一方では、インプラントやジルコニアによるオールセラミックの修復物を希望する人達は大勢います。
また他方では、非貴金属のメタルボンド(中国では日本における保険治療の修復物程度の扱いがされています)にさえ支払ができず、残せる歯まですべて抜歯して、支払いが少なくて済む総義歯にした中国人の知人を最近二人知りました。
中国の地方に行けば行くほど、可撤性義歯の需要は多いと思いますが、中国には可撤性義歯の専門知識や技術を持つ歯科技工士は非常に少ないようです。


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