三好博文先生への返信/障がい社員新聞“絆”の加賀谷忠樹先生に関する記事を拝読して

「歯科技工の師と仰ぎ、公言する者が今でも多数いると言われる」と書かれている障がい社員新聞“絆”の加賀谷忠樹先生に関する記事、拝読いたしました。
加賀谷先生にはお会いしたことはありませんが、お名前は、すでに1970年代頃から専門誌上でよく存じあげていました。

加賀谷先生に関する絆新聞の記事を何度も読めば読むほど、加賀谷先生は真面目を絵に描いたような生き方をされた方だということがよくわかりました。
また、ご子息を歯科医師に育てあげられ、開設された歯科医院で88歳の現在も現役で歯科技工をされていることを知り、歯科技工士として理想的な生き方をされている方だということもよくわかりました。

記事によりますと、加賀谷先生は学生時代から、「遅刻、居眠り、授業・実習を要領よくサボるという概念が全くなく、同僚技工学生の授業・実習を受けるルーズな態度やその光景を目にし、ショックを受けられた」と書かれています。

私は1970年に28歳で歯科技工学校を卒業しましたが、学生時代は、お世辞にも真面目に勉強したとはいえません。
それどころか「加賀谷先生がショックをうけられたような不真面目学生の見本」のようで、学校におけるブラックリストの定連でもありました。

1982年、国際ロータリー財団の奨学金試験を受けるために技工学校の成績証明書が必要になり、卒業学校の九州歯科技工専門学校へお願いしました。
その一部ですが、「出欠の記録」の欠席日数、欠課日数、遅刻度数をご覧ください。
ひどいものでしょう。

図1
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その当時は、歯科技工を一生の仕事にしようとする意志は全くなく、なめてかかっていたところがあります。
加賀谷先生のもとでしたら、こっぴどく叱られたに違いありません。
歯科技工学校の1年から2年に進級する際には、今は亡き妻の父(歯科医師でした)に付き添ってもらって学校長と理事長に詫びを入れ、やっと進級させてもらった次第です。

三好先生もご存じのように、当時は歯科技工学校の学生は、2年生になると臨床ケースが与えられ、患者さんのための歯科技工物を製作していました。
当時、学校へ依頼されるクラウン・ブリッジの症例は、無縫冠や縫製冠が多く、最も高度の臨床ケースでも鋳造冠でした。
当時は、その鋳造冠のケースすら少なく、それらのケースは真面目な学生へ振り分けられていました。

当時の私は、臨床実習には興味がありませんでしたので、金属板を打ち出して作る簡単かつ短時間で製作できる可撤性義歯の隙(げき)ばかりを引き受け、残業は一切せずに誰よりも先に帰宅していました。
そのため、「九歯技のシェークスピア」と揶揄されたこともあります。
その正しい意味は「九歯技の劇(隙)作家」で、卒業記念誌にも書かれています。
「九歯技」は学んでいた歯科技工学校の略称です。

私が歯科技工に興味を持ち始めたのは、歯科技工学校の2年生の時(1969年)に、カリフォルニア大学歯学部助教授であった保母須弥也先生著書の「オーラルリハビリテーション」という専門書に出会ったときからです。
当時の私にとっては、あまりにも高価(9,500円)な専門書でしたが、歯科技工学校で学んでいることとは全く違う歯科技工の世界があることを、その本を通して知りました。

私には「歯科技工の師」にあたる人はいませんが、多くの専門書や専門誌の中の論文が私の師で、技術はすべて独学によるものです。
咬合に関しての初めての師といえる専門書は、「臨床家のためのオクルージョン/石原・咬合論」です。
東京医科歯科大学の石原寿郎教授が亡くなられた後、1972年にその門下生の方々によって出版されました。
話し言葉で書かれた文章は、咬合論という難しい内容を、当時の私にも非常に分かりやすく諭すように教えていただいた専門書です。
おかげで、その後に出版された他の咬合に関する専門書を読む際にも、難解な専門用語に対する拒否感が軽減されたように思います。

図2
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上記の「オーラルリハビリテーション」と「臨床家のためのオクルージョン/石原・咬合論」の2冊は若い日の思い出と共に今も手元に保存しています。

図3、図4
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この室内における2枚の写真は、1970年代の福岡における私の自宅兼ラボです。
自宅の居間の書棚はすべて専門書と専門誌です。
海外への移転などの繰り返しで、自宅兼ラボと共に、そのほとんどの書籍を失なってしまいました。

思えば、歯科技工士になった後、日本、スイス、ドイツ、中国で10回以上の転職を繰り返しています。
転職の度に、短い期間で2~3カ月、長い期間では2年から3年の無職と無収入を経験し、そのたびに僅かな蓄えで食いつないできました。

現在、新型コロナウイルスの影響で北京の職場は封鎖を余儀なくされ、おそらく3カ月間以上の無職、無収入のときを過ごすことになるでしょう。
新型コロナウイルスの問題がなくなれば、職場の封鎖や外出禁止処置も解除されて、職場へ復帰できますので、過去の転職時の心労に比べれば何でもありません。

障がい社員新聞"絆″に掲載された加賀谷先生に関する記事を読み、忘れかけていた昔のことを思い出すことができました。
ありがとうございました。



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